でも「もし」は役立たない。
全く個性の違う3人姉妹のそれぞれの人生のお話。
長女のDV問題を中心に進み、対男性、対社会との関係をDV(ドメスティックバイオレンス)問題として書かれています。
ネットでは【きらきらひかる】に通じるものを感じる、とか言ってる人が多いみたいです。
僕としては言われてみたら似ている感じはするかもしれないけど、もっと奥深いような、と思うのです。
長女の麻子は結婚7年目。冒頭に書いたとおり、夫のDV被害に遭っています。
僕も結婚して5年とちょっとですが、暴力はちょっと、と思います。
ヒトやモノに対する暴力に訴えるのはどうかなぁ、と思うのです(まぁ、僕が体力、腕力的に弱っちいというのもあるのでしょうけど)
麻子の夫が麻子に力を誇示するあたりは本気でコイツはダメな奴に違いない、と共感の余地ゼロでした。
こういう性格では、共同生活を行えるわけありません。
次女の治子は外資系企業に勤め、売れないライターの恋人がいます。同棲はできても、結婚を望んでいません。
彼女の恋人が出て行って、ひとつおみやげを置いていった、というエピソードは近い話を実話で聞いたことがあってりして。
三女の育子は家族思い。天然というかなんというか、ちょっと変わった子です。しかし、彼女がいるからこそこの姉妹は仲良く暮らせてこれたことでしょう。
これら犬山家の3姉妹から目を離せなくなり、さくさく読み進めることができました。
こういう場合、僕は大抵誰かがお気に入りになってすごく誰かだけを見てしまうのですが、今回は三人とも平等に気になりました。
この本のタイトルは犬山家の家訓とされている言葉です。
「人はみないずれ死ぬのだから、そして、それがいつなのかはわからないのだから、思いわずらうことなく愉しく生きよ」
そりゃまぁ、まさにその通りなんですが。
個人的には、後悔も多く、思いわずらいまくる人生を歩んでいるのでなんともかんとも。
愉しくは生きてないなぁ、なんて軽く悩んでみたりもする今日この頃。
「愉しく生きる」とはどういう事なのか、考えさせられました。
思いわずらうことの多い方、あまり思いわずらうことのない方、江國香織さんがお好きな方、へおすすめです。