木のない電飾の夢を見た。
12個のお話からなる、短編集です。
ちょっとした人生の場面を中心に話は進みます。小説というよりエッセイに近い感じです。
出てくる人は40歳前後の女性。
独身だったり、離婚経験者だったり、主婦だったり、それぞれ立場は様々なのですが、登場するほとんどの人が、しあわせとふしあわせ同時に持ったような具合です。
この短編の主人公たちは、よく回想をします。実に回想の多い人たちであります。
失った恋や、楽しかった記憶、過去の記憶。
一つのお話が大体二十ページ程度と、すごく短いのですが、読み終わった後もなんだかいろいろと思いをはせてしまいます。
短編にありがちな「え?もう終わり?」といった感じがないのが良いところです。
これは、物語の背景を複雑にすることなく、登場人物を最低限に絞り込むことで、短い中で十分に細かな描写がなされているということでしょう。
泣きたくなる事というのは、世の中多いものです。とかく、好きな人との別れというのは心揺り動かすものであります。
僕自身も好きな人との付き合いで、過去に訪れた危機について、相手も自分も涙したものです。
しかし、この「号泣する準備」とは、いつの間にするものなのでしょう。
もしかしたら、生きていくという事自体が、いつかくる悲しみに備えて「号泣する準備」を少しずつしていることなのでしょうか。
歌謡曲の歌詞みたいですが、「はじまりはおわりのはじまり」なのでしょうか。
どの短編もそれなりに気になりますが、個人的には以下の三点が特に気になりました。
17歳の初恋の思い出を綴る「じゃこじゃこのビスケット」
不倫の末結ばれた二人の、その後に待つものを書いた「そこなう」
専業主婦の日常の断片を描いた「こまつま」
あるサイトで、「人というのは愛すれども孤独であり、恋を喪失した時にのみ孤独を感じるのではなく、恋を所有している時でも孤独とは無縁ではない、というはかなさがある。」というような事を書いている人がいましたが、上手いことを言うなぁと思ったのでした。
まさにこの作品にふさわしい言葉かもしれません。
江國さんと言えば、面白い文章表現が多いです。この本でも、「じゃこじゃこ」だとか「じゃんじゃん」とか。
そういえば、表題作に「同胞にめぐりあった」という表現があります。
僕も過去にちょっとした偶然(いや、それすらも必然だったのかも)好きな人とめぐりあう事ができましたが、これはそういう事だったのかもしれない、などとひとりごちてみるのでした。
このお話では主人公達は江國さんご本人に近い年代の人々でもありますが、不思議と本人を感じさせません。
「チクリスとユーフラテス」では書いている作者を作品内でも感じたのに、この本ではそんな事がありません。
短編だというのもあるかもしれませんが、そういう事ではないような気がします。
先日放送されたNHKのトップランナーに出演しておられました。
表題作をちょっとだけ音読しているのを見て、ああ、やっぱりこの人は良いなぁ、などと思うのでした。
話し方にちょっと癖があって、会話が微妙に掛け違いそうであっても、不思議な魅力を感じる人です。
第130回直木賞受賞作品にもなってます。
京極夏彦さんとツーショットで並んでいる取り合わせが、何故かちょっと笑ってしまうのでした。
今までに号泣するような出来事に遭遇した事がある方、まだ号泣するような出来事に遭遇した事がない方、江國香織さんのファンの方、におすすめです。