あなたは、どうして、私を生んだの?
新井素子さんのSF小説です。
時代は遠い未来。
わずか37人の移民から始まったという植民惑星ナインの歴史のお話です。
人工子宮の活用で200年で120万人の人口をかかえるまでに発展した惑星ナインは、しかし原因不明の人口の自然減少によってしだいに逆ピラミッド型の人口分布を示しはじめる。
衰えていく社会、減り続ける人口。ついに惑星ナイン「最後の子供」ルナが生まれ、移民の歴史に終止符が打たれた後も、年老いたルナひとりを残して惑星ナインの時間は過ぎていく。
やがてルナは、未来での治療法開発に賭けて不治の病を抱えたままコールドスリープについた人々を順番にむりやり覚醒させ、惑星ナインのたどった末路を――少女のままいびつに育てられた自らの姿を残酷に人々に突きつける――。
ナイン社会の末期に生殖能力を有する特権階級として成人しながら子供に恵まれなかったマリア・D。
移民中期、ナインを襲った飢餓への対応策として「種の存続を第一目的」として弱者を切り捨てた社会を運営し続けた惑星管理局の特権的テクノクラート、ダイアナ・B・ナイン。
移民初期、37人の移民第一世代の英雄を祖父母に持つ唯一の「地球を継ぐ者」として生を受け、特権的な人生を享受した関口朋美(トモミ・S・ナイン)。
そして、そもそもの始まり。移民船ナインのクルー達を先導し、惑星ナイン初代大統領となったキャプテン・リュウイチの妻、惑星ナインという社会の聖母として、女神として、永遠に人々の記憶に留まり続けられるようナインの地質学的寿命が尽きるまで眠りにつくことを運命づけられたレイディ・アカリ。
そんな彼女たちによって語られるお話です。
主要登場人物である、マリア・D、ダイアナ・B・ナイン、関口朋美、穂高灯、ルナ。
これら全部が、作者本人とダブってしまいます。
無論、それは僕の妄想であろうし、気のせいだとは思います。
しかし、彼女たちの語り口に、現実の人間の新井素子さんを感じてしまうのです。
ある方が「これは大人のための小説ではない。だが大人になれない人のための小説である」と評していましたが、果たしてそうでしょうか。
彼女自身の声だから、そう思えてしまうのではないでしょうか。
新井素子さんが大人ではないという意味ではありません。何らかの子供じみたメッセージが混じっている、という意味で。
ちなみに、このお話というか、新井素子作品全般における問題がひとつ。
少女小説みたいな、なんともいえないこの文章です。
具体的には句読点の使い方であるとか、語り口でしょうか。
僕は全然平気なのですが、これが苦手な人にとっては厳しいかもしれません。
これはこれで作者の「魅力」ではないかとすら思うのですが。
ところで、ある方が「親になれない者は、永遠に子供でいなくてはならないのかもしれない」とおっしゃっていましたが、その通りかもしれません。
僕も既婚者で、子供はいません。
僕も子供のような事をずっと続けて、今の生活になりました。 おそらくこれからもこのままでありましょう。
子供を持たず、細君と共働きで生活を続けていく事に何の疑問も持ちません。
細君もまだ働きたい、と言います。(子供を持つと働けないとは言いませんが、かなり制限されるのは事実であります)
家事は二人でやればいいのだから、二人で働きたいと思っています。
そんな僕も一時は子供が欲しかった時期がありました。細君にもそういう時期があったそうですが。結局そのタイミングが合わず、今に至ります。
今ではもう、子供が欲しいとは思いません。
この小説は、そんな僕にちょっとだけ影を落としてくれました。 良い意味でも悪い意味でも。
結婚してお子さんがいる方、結婚してお子さんがいない方、子供が欲しい方、子供がいらない方、新井素子さんがお好きな方に、おすすめです。